お疲れ様です。
電車の中で、腹痛に耐えています。GoooodmenのSukeです。(あと20分)
今回は最近読みました『嫌われる勇気』という本について紹介します。
『嫌われる勇気』は岸見一郎と古賀史健の共著による、アルフレッド・アドラーの「アドラー心理学」を解説した書籍です。2013年に出版され2015年にはビジネス書ランキングで年間1位を獲得しました。
Youtubeや他のメディア界隈でも多数取り上げられ、多くの人にとって既に読んだか、読んでいなくても名前は聞いたことがある書籍になっているかと思います。
私がこの本を知り、実際に読んだのは2022年の11月であり世の中のブームからすると少し乗り遅れたような、遅めの時期でした。
流行り物は賞味期限があると思っていた私は今更読んでも、、と思いながらAmazonのKindle版が記念セールで安くなっているのを見て、なんとなしに購入しました。購入したのは10月であり、ひと月積読しながらようやく11月にページをめくります。
まず私は読書が得意じゃないし苦手意識もあります。途中で飽きてしまって読み終わらないことなんてザラです。
ただこの本は面白かった。
2000年以上前のプラトンの対話篇やアリストテレスのニコマコス倫理学が今の人々にも通じ、人々に愛されるように、はたまた釈迦の教え、世界観が今なお人々に気づきを与えてくれるように、この著者たちの言う『古賀史健氏の紡いだ岸見アドラー学』もまた、人々の流行り廃りなど関係なく、いつまでも悩める人々に寄り添ってくれる一冊なのだと思います。
この本は古代ギリシャの古典的手法に基づき、哲学の徒である哲人と悩める一人の青年の対話形式を用いて著されました。
アドラーやプラトンがそうしたように、専門用語を使うことはなく、対人関係を改善するための「具体的な方策」を示された内容になっています。
アドラー
まずはアドラーの紹介をします。
彼は1870年から1937年に生きたオーストリアの精神科医、心理学者です。フロイト、ユングと並ぶ三大巨頭として挙げられます。
世界的ベストセラーの『人を動かす』や『道は開ける』で知られるデール・カーネギーでも、スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』でもアドラーの思想に近い内容が語られています。100年が経過した今でも時代が追いつけぬほど彼の思想は先駆的でした。
その言葉は至ってシンプル。
『人は変われる、世界はシンプルである、誰もが幸福になれる』
トラウマの否定
アドラーはまず、トラウマを明確に否定します。
例えば、現在引きこもりの友人がいたとして、外に出ると、場合によっては動機症状や頭痛、腹痛に襲われるとします。
フロイト的な原因論に基づくと、心に負ったなにかしらの傷(トラウマ)が、現在の不幸を引き起こしていると考えます。人生を大きな「物語」としてとらえたとき、その因果律のわかりやすさ、ドラマチックな展開には心をとらえて放さない魅力があるのです。
しかし、アドラーはこう語ります。
『いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック——いわゆるトラウマ——に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである』と。
つまり倶舎論で言うと、そのトラウマを与えたと思われるイベント、それ自体はなにかの意味を持つものではなく、六根を通じて心に刺激が達し、同時に生じる心所が意味を付加する。イベントの法の事象と仮設の事象を見極めることが大切でした。
それがアドラーの言う経験に与える意味なのではないかと思います。経験とは客観的な事象であり、それ自体は意味を持たないのです。
仏教もアドラーもともに、生じたイベントの客観的な認識と、この心所、経験に与える意味を自分で変えていくといった点で共通しています。
アドラーの考えで言うと、引きこもっているその友人は、過去にあった何かしらのイベントに『自分で』意味を付加し、『自ら』閉じこもることを選んでいるのです。『外に出たくない』という目的を達成するために不安や恐怖を作り出しているのです。
ではなぜ自ら閉じこもることを選んでいるのか。
それは自室に引きこもることで、親もしくは他者の注目を集めることができ、腫れ物に触れるかのように丁重の扱われるようにだとアドラーは言います。家から一歩出てしまうと誰からも注目されない『その他大勢』になってしまう。その他大勢と比べ、凡庸で、見劣りし、私を大切に扱ってくれなくなってしまうのではないかという不安がそうさせるのです。
アドラーはこういった、トラウマが今を導くという『原因論』ではなく、目的が今を決める『目的論』という立場をとりました。
過去がすべてを決定し、過去が変えられないのであれば、今日を生きるわれわれは人生に対してなんら有効な手立てを打てなくなってしまいます。その結果、世界に絶望し、人生をあきらめるようなニヒリズムやペシミズムに行き着くことになるでしょう。トラウマの議論に代表されるフロイト的な原因論とは、かたちを変えた決定論であり、ニヒリズムの入口なのです。
と、アドラーは語ります。
まずここがハットさせられる思想であり、多くの人が咀嚼するのに時間を要し、時代が彼にいまだ追いつけていない所以の一つではないだろうかと思います。
その考えは天動説全盛期の地動説。コペルニクス的転回です。
『変わることの第一歩は、知ることである。』
無明を取り払う事が大切なのです。
与えられたものをどう使うか
私たちはよく、『あの人みたいになれたら幸せだろうな』と思うことがあるかと思います。
みんなから好かれ、尊敬され、志高く、笑顔に包まれて生きる。
あの人のようになりたいと。部分的なことでも同じです。
自分にはコミュニケーション能力がなく、人と関わるのが嫌いですが、あの人は誰とでも楽しそうに喋ることができる。あんなふうになれたら幸せだろうなと。
つまり、今の自分を愛することができず、自分を愛するために手段として別人への生まれ変わりを望んでいます。あの人に生まれ変わり、今の自分を捨てたいと。
ただし、現代を生きる我々には十分分かりきっています。あの人に生まれ変わることなどできないということが。
私は私でしかない。私は私であっていい。ただし、『このままの私』ではいけない。『このままの私』でいいはずがない。
ええ、われわれに必要なのは、与えられたものの『交換』ではなく、『更新』なのです。
アドラーは言います。
『大切なのはなにが与えられているのではなく、与えられたものをどう使うかである』
有名な漫画ピーナッツに登場するスヌーピーも言っていました。
▼ルーシー
「Sometimes I wonder you can stand being just a dog ….」
(時々、わたしはどうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ。)
▼スヌーピー
「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」
(配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)
また、チャーリーブラウンも語っています。
「He says it’s terrible to go through life wishing you were something else.」
(自分以外の人間になりたいと願いながら人生を送るのは耐え難い)
『なにが与えられているか』に執着しても現実は変わりません。
私が今幸せを実感できず、行きづらいと感じ、別人にいまれ変わりたいと願っていても、今私が不幸なのは自らの手で『不幸であること』を選んだからなのです。決して不幸の星の下に生まれたからなのではありません。
なぜ、私は不幸であることを自ら選んでいるのか。
それは私にとってそれが『善』であるからです。
善悪がそれぞれの立場によって、何を善とし何を悪とするかは変わることを、先の仏教でも学びました。有漏の善心と無漏の善心があり、仏道での善いこととは、煩悩を滅し悟りを開くための行いであり、社会通念上の善とは大きく異なっています。
ギリシャ語で言う善悪には道徳的な意味合いは含ませません。ただただ『ためになること』を善とし、『ためにならないこと』を悪とします。
悪事を働く人であってもそれが自分にとってためになることという意味の善だと考え実行しているのであり、純粋にな悪(自分のためにならないこと)を人はしないものなのです。
私は変われないのではない。自らに対して変わらないという決心を下しているのだ。たとえそれが不幸な状況であれ。
ではそこには彼によってどのような善があるのか。
ここには1988年にリチャード・ゼックハウザーとウィリアム・サミュエルソンによって提唱された現状維持バイアスが大きく関わってくるように思います。
人の心理には損失回避性という物があります。全く同じものを自分が得るときと手放すときとでは、その時に感じる価値が大きく変わるというものです。
例えば五分五分の確率のギャンブルがあったとして、負けたら100万円損をするとします。あなたは勝ったときにいくらもらえたらこのギャンブルに参加しますか?
この問に対して100万円と答えられる人はなかなかいません。200万円や250万円ぐらい得られる条件でようやくリスクと同等だと感じる人が多いのです。
この心理が人に現状の維持を好ませます。
例えば、今の自分を捨て、未来を切り開こうとするとき、今の自分ができること、これまでの自分であれば解決できたことを切り捨てていくことはそう簡単ではありません。不満足な今の自分だったとしても、経験によってある程度の不足の事態には対応できる。それが今の自分を捨て、新しく切り開いた未来ではどんな不足の事態が起こるのか、全く経験がなく不安に感じる。失敗するリスクだって大いに有り得る。
そのため、過去のやり方を捨てて新たな道を選ぶことはとてもリスクが高いように思えてきます。結果、新たな一歩を踏み出さずに現状維持を好む傾向が強まります。これが現状維持バイアスです。
人はつまり、『変わらない』という決心を刹那刹那にしている。不満足な生活を自らの手で選択しているということです。
変わりたいと切に願うあなたが行う最初のことは今の自分をやめるということです。もちろん変わりたい内容によって、部分的であっても構いません。
『もしも憧れのあの人のような人間になれたら幸せになれる』と可能性の中に生きているうちは変わることはできません。あなたは変わらない自分への言い訳としてもしも憧れのあと人のような人間になれたらと言っているのですから。
もしももっと、もっと若ければとか、時間があれば、お金があれば、と言い訳をしている人がいたとしたら、その人は『やればできる』という可能性を残しておきたいだけなのです。やってできなかったときの事実に耐えきれないために、行動しない自分に言い訳をしているだけなのです。
アドラーの目的論は
「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」
ということを教えてくれます。
それはトラウマを否定し、与えられたカードで勝負する勇気こそが、人が幸せになるために必要だということなのです。
最後に
今回は『嫌われる勇気』の序章を紹介しました。
アドラー心理学は勇気づけの心理学とも言われ、『勇気』という言葉がとても大切なキーワードになります。
今の自分が好きになれない、このままではいけないと強く願う方が一人でも、この本を読んで変わる勇気を持つことを願っています。
『過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。「いま、ここ」を真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない。』
嫌われる勇気
『人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。』
『人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ』