いでよ大乗仏教!【日本は大乗仏教国】

はじめに

京都とか奈良とかに観光に行くじゃん。

だいたい寺とか神社行くじゃん。

なんか本願寺とか薬師寺とか阿弥陀様とか薬師如来とか大日如来とかいっぱいあるけどよく分からないじゃん。禅だって海外でも流行ってるみたいだけど、正直日本人なのにあんまり知らないじゃん。

浄土真宗だの日蓮宗だの曹洞宗だの全然区別がつかんのですよ。

よし、いい機会ですね。

今回はこやつらの大枠、『大乗仏教』についてだ!大乗仏教分かると観光がもっと楽しくなると思うぜ!

まずはおさらい

仏教といえばお釈迦様だな。

今から2500年前に当時のインドで悟りを開いてそれを色んな人に伝えた実在の偉人。

この世の苦しみから逃れるために、諸行無常、諸法無我を説いて煩悩撲滅に成功した人。

煩悩のせいで人は業を生じ、そのエネルギーで輪廻を繰り返す。輪廻を止めて、涅槃に至るためには煩悩を断つしか無い。

ってやつだな。

釈迦は悟りに至るためにはこれらのことを本当の意味で身につけないといけないから、出家して修行しろってのが基本の教えだったんだよ。

出家したら生活全てを修行に捧げるので、一切の生産活動しちゃいけないんだぜ?つまり畑も耕せないのよ。蓄えを持つと執着の煩悩に繋がるからな。

スーパーハードモードのこの生活は、在家って言って出家はしていない人たちのおかげで成り立ってる。

出家してる人たちってのは別に山奥に篭って一人で黙々とやってるわけじゃ無いのよ。ひたすら修行に励む姿を一般の人にちゃんと見てもらってる。

人はやっぱりそれを見て、尊敬を覚えるみたいな。そして自分も苦しみを持ったときには教えを請いにいこうって、一種のセーフティネットになってた。

釈迦の仏教は自分から熱心な布教はしないけど、苦しんでいる人がいたら迎え入れよっていうスタンスだったからね。

なのでそんな在家の人たちの周りを歩いて、在家の人たちが困らない程度の食べ物を自分の壺に入れてもらうんだって。これを托鉢って言うらしい。

蓄えたら執着の煩悩に繋がるからほんとに最低限よ。

ここに入れてもらったのしか食べちゃダメだからね。ステーキ落ちてても絶対食っちゃいかんからな。

まぁ釈迦の仏教って結構スパルタで厳しいのよ。宗教っていうよりビリーズブートキャンプの精神改造版だからな。

仏教の枝分かれ

釈迦が入滅した後は、弟子たちがその口伝をまとめてお経にしたのよ。

それをしっかりと守って教えを大事に暮らしてたんだけど釈迦が入滅して5〜600年も断つと、やっぱりいろんな解釈をする人がいるのよね。

なんでもそうじゃん今の日本の憲法だって解釈がどうのこうのって議論なってるし。

元々仏教では釈迦の教えと違う解釈をして広めたらダメってなってたんだけど、いよいよもう水面下の争いがデッドヒートしてなんともならんようになって。

ときの王のアショーカ王ってのが、まぁ解釈は違えど仲良くするのであればそれぞれが正しいよってしたんだ。

これで仏教のいろんなバリエーションが生まれるトリガーが引かれた。

まぁ最初はそれでも互いに認め合って、釈迦の経典の解釈の違いで「部派』として別れていたんだけど、まぁこれも時間が経つとだんだんともうね。

多分時代の流れもあるのよ。釈迦の仏教はスパルタだし色んな決まりがあるんだけど、托鉢の決まりがあるから割と安定してる地域の近くじゃないといけないじゃん?

戦争とか起こったらもう大変よね。村人も出家してる人に食べ物分ける余裕もなくなるよね。そして出家したくても出来なくなっちゃうよね。

そんな感じで、出家と在家のバランスが崩れそうになったとかももしかしたら理由の一つなんかもな、出家していない人も救えた方が良くない?って考える人たちが出てきた。

仏教って面白いのが、論理的に考えて釈迦の教えとの整合性が取れれば、釈迦の教えとして後から経典作っていいよっていう謎の文化がある。

だって釈迦が死んで500年後に出来た経典とかあるんだぜ?

キリスト教とか聖書増えることないのに面白いよな。

だから、より多くの人を救いたい、そして出家したくてもできない当時の人たちは釈迦の教えを真剣に考えた。

そんな色んな解釈を持った人たちが出てきて、新しい考え方を作っていった。その大きな潮流の一つが大乗仏教と言われるやつなんだ。

在家の人たちも救いたい。悟りのための大きな乗り物ってのが大乗の意味なんだってよ。

大乗仏教のベーシックな部分

当時は出家したら僧(サンガ)という組織に入って修行するのが絶対条件だったんだ。

残念ながら京都サンガとは全然関係ない、

そこで思うわけよ。あれ、釈迦ってサンガ入ってないのに悟り開けてね?そうなのよ釈迦は悟った後にサンガ作ったからね。釈迦はサンガ入らずに悟ったのですよ。

じゃあ釈迦が人生で何をやって悟ったのかもう一度しっかりトレースしようぜってなった。けど、瞑想とかしかなくてすんごい特別な修行って出てこないのよね。

なるほど、じゃあ過去だ。釈迦が釈迦として生まれるもっと前、前々前世だ!

映画『君の名は。』RADWIMPS 前前前世 (movie ver.)

ってことになりまして、当時もまだまだ世間一般に強く根ざしていた輪廻の思想の中で、釈迦の前世を考えるようになったのよ。

そこで出てきたのが、『釈迦はきっと無限の前世のどこかで、他のブッダに会ったんだろうなー』ってやつ。

子供の時にサッカー選手を見てサッカー選手になりたいなーって思うじゃん。でもサッカー選手を一回も見たことない人はサッカー選手になりたいなーって多分思わんよね。

釈迦もどっかでブッダに会って、そこからこれを目指そうと思ってずっと頑張ってきたんじゃないかって考えるようになった。

釈迦はこのブッダと会った時に、『あなたのようになりたいので努力します』と誓ったそうで、その時に釈迦はブッダから『あなたならなれる』とお墨付きをもらったんだってよ。この状態、ブッダ候補生を菩薩って呼ぶのよ。

そして無限の輪廻の中で、何人もの仏陀に出会い、その時にまたお墨付きをもらってパワーアップして、とうとうは自分も仏陀になれたのだと。

だからこの人たちは思ったわけだ。ブッダと出会って、あなたならなれますとお墨付きをもらうことが大事なんだと。

釈迦も無数の輪廻の中で時には人でなくウサギに生まれてたかもしれない。そうなると出家はできない。ただ菩薩としてのウサギであり、ウサギとして正しい生活を送ることが菩薩行になるであろうと。

釈迦が最後に出家したのは仕上げの部分であり氷山の一角であって、それまでには輪廻のなかで菩薩としての膨大な良い正しい生活を送るという修行期間があり、それが大切だったのだろうと。

だからね、大乗仏教では『自己犠牲と善行』というのがものすごくキーワードになってくる。

法隆寺の玉虫厨子に描かれた捨身飼虎図とか見てみてくれい。腹すかした虎に前世の釈迦が自分を食えってやってる図なんだってさ。

ただね、このに一つの問題がありまして、釈迦の仏教だと善行というのはもちろん良いことなんだけど、それ自体は良い業となり、輪廻を止めることは出来ないとされてたんだよね。

『天』『人』『畜生』『餓鬼』『地獄』の中で、より上位に行くための力になりますよーて感じ。

じゃあどうやったらこの善行という業を、輪廻をどんどん加速させる力ではなく、輪廻を止め涅槃に入るための力のベクトルに変えられるのだろうということで出てきたのが、般若経の『空の思想』。

多くの大乗仏教は般若経の空の思想も受け継いでるのでまた詳しく紹介する!

まぁこの般若経の空の思想のおかげで、大乗仏教はここの論理矛盾を乗り越えて、一気に加速したんだってさ。

そしてね、日常の中の善行こそが在家の修行だと解いた大乗仏教なんだけど、とうとう最大効率の善行を見つけたのよ。

それが、

ブッダと出会い、それを崇めること、供養することがブッダになるための近道である

なんだってさ。

ただね、知ってた?

ブッダって滅多に現れないのよ。釈迦の次のブッダは56億年後に現れるらしいから。

てことはもう自分会えないじゃなん。どんだけ、輪廻繰り返しても、悟れるのどれだけ先だよってなっちゃうじゃん。つまりはここをブーストさせるためにまたみんな色々考えるのよ。

そしてここをどうブーストせたかのかが、大乗仏教のそれぞれの宗派で変わってくるのよ!

大乗仏教の大枠は大体こんな感じ。

釈迦の時には居なかった超越者みたいなのが登場して、その超越者に救いを求めるようになった。だから、仏教の中でもより宗教っぽい感じがするよね。

自力本願と他力本願というところが、釈迦の仏教との大きな違いのひとつみたいだな。

大乗仏教の広がり方

こんな感じの大乗仏教なんだけど、生まれはやっぱりインド。

大乗仏教とは考えの違う割と釈迦の時代を色濃く残してる仏教を上座部仏教って言うんだけど、上座部仏教はインドから南の方行って東の方行って、今はスリランカとかタイとかでしっかり受け継がれてるね。

大乗仏教は後から生まれた仏教だけど、生まれた後に北の方でシルクロードが開通したので、上座部仏教と大乗仏教は同じタイミングで中国に広まった。

その後はわかるように、中国では大乗仏教がメジャーとして拡がり、それが聖徳太子の時に日本に来て、蘇我氏とか物部氏とかの話があって今に至る。

残念なことにインドでは消滅したんだ。逆輸入されつつあるらしいけどね。

最後に

釈迦の仏教を調べた時は、なるほど世界をそう捉えたのかという気持ちが湧いたけど、大乗仏教の大枠を調べた時は何か興味深いストーリー展開を聞いている気持ちになったな。

またここから個別の宗派を見ていくと他の感想になるかもしれないけどな!

どっちが良い悪いということではないのよ。アンチバラモンから始まって神を否定し自己鍛錬に重きを置いたのに、また超越者を言い出してヒンドゥーに寄っていったとかいろいろな意見があるらしいけどさ。

大乗仏教はより多くの人を救いたいという考えからから論理展開だし、これだけ脈々と受け継がれてきた魅力があるのも確かだしな。

何はともあれ、また少し京都散策が楽しくなりそうだぜ!外国人にドヤ顔で説明できる日を期待して待つ!

ではまた!

参考・おすすめ

Podcast – COTEN RADIO
132 最澄と空海 – 悟りを開いた男たちの生
♯79 三蔵法師・玄奘 – 終わりなき知的探究心の旅

▼般若経や法華経、浄土教など大乗仏教のそれぞれが整理できる本。それぞれの特徴がとてもおもしろい。

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