【倶舎論①】仏教の世界観が面白い【物質界の話】

はじめに

釈迦の話し(『思ってたのと全然違う?!釈迦の仏教〜【すごかった】』)や大乗仏教の大枠の話(『いでよ大乗仏教!【日本は大乗仏教国】』)をやって、さぁいよいよ般若心経の空の思想いこう!と思っていたのだけれども、やっぱりね、もう少し釈迦の時代というか釈迦の考えを色濃く継ぐ時代にあった世界観、世界の捉え方を知らなきゃなにか理解が難しかった。

釈迦の話のところでもしたのだけれど、この時代の仏教はほんと宗教というよりも科学的な感じなんだ。

ときの寺院とかは建築や工学含めた総合大学みたいな側面もあったらしいからね。

いろいろなもの、その辺の石ころや木、山がどのように成り立っていて、どのように関係しているか。それを理解して初めて悟りへの修行の意味がわかる。

今回は、仏教が捉える世界の構成要素、物質論について紹介するよ。

倶舎論

仏教もさ、キリスト教とかと同じで創始者自身がまとめた教本とかってなかったんだよね。仏教の発祥当初は口伝でその教えを引き継いでいったのだけれど、釈迦もさ、教えを請いにくる人それぞれに合わせて説法してたものだから、結構断片的なんだ。

それを釈迦の身近にいた人たちができる限りまとめて作ったのがお経なのさ。『阿含経(ニカーヤ)』といって今でも残ってる。

ただそれも断片集であって、理路整然とした体系的なものではなかった。だから今から2000年前の人たちが、釈迦の教えを体形的にまとめた教科書を作り始めたんだ。

その教科書を『アビダルマ』って言うのさ。だいたい500年間作られ続けたんだって。阿含経をベースにしてるから、大乗仏教のような新しい教えの世界観は含まれていないよ。

そんな教科書の中でもとても有名なのが、この『倶舎論』。

作者は世親、サンスクリット語でヴァスヴァンドゥ。かっけぇ。

ヴァスバンドゥを世親って訳したのも玄奘なんだってさ。どんだけ仕事してるんだこの人。ってああ、般若心経がこの人の漢訳だってことはみんなにはまだ言ってなかった。

♯79 三蔵法師・玄奘 – 終わりなき知的探究心の旅

世親といえば無著・世親像だよね。興福寺の。久しぶりに思い出したよ、作者(指導)は運慶だ。中学社会ぶり?運慶といえば東大寺南大門の仁王像。有名なやつ。

興福寺HPはこちら
東大寺南大門HPはこちら

今回特に参考にした本はこれなんだけど、

仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観 (DOJIN文庫)

筆者がわかりやすい例え話をしていたんだ。

 『倶舎論』の目的は、仏道修行者に正しい悟りへの道を指し示すことである。

《中略》

世界の最高峰エベレストに登りたいと望む人たちに、「エベレストの登り方」を指南するマニュアルのようなもの。

《中略》

まずなにを置いても、エベレストおよびその周辺のヒマラヤ山脈全域についての地理や気象条件など、状況の説明が必要である。今から登ろうとするヒマラヤという世界が、一体どのような構造になっているのか、それを知らずに足を踏み出すことはできない。

仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観 (DOJIN文庫)

それはそうだ。
今回の『物質論』は悟り山の周辺環境の説明になる。

ぜひ、こっちの釈迦の話読んでから、今回の話見てみてね。

まずはこれ。法。諸法無我の法。自我なんてどこにもないんだぜってやつ。

釈迦もしくはその弟子たちは、まずこの世の中のものを実在するものと実在しないものに分けたんだ。

自我なんてないって言うのもそうだし、『車』だって実在するものじゃない。あればタイヤとかエンジンといろんなものの集まりであって、その組み合わせたものを勝手に車って呼んでいるだけ。この世に元々『車』なんてものはないんだ。『タイヤ』とか『エンジン』もそう、いろいろな部品が組み合わさったものであり、この世に実在するものじゃない。

実在するものを『法』と呼び、『法』でなければ実在しない。

ほら、実在しないものを理解していないことが無明のひとつだったよね。

悟りの修行はこの実在しないものを客観的に理解して、捉え方を変えていくんだ。つまり、煩悩を消し去るんだ。

ちなみに実在しないものは仮説って言うよ。

三元論

まぁこのままじゃあーそうとなって本質がよく分からない。なので少し細かく見ていく。

よく物質世界とか精神世界とか別れているという感覚で二元論とかって聞くじゃん。体と魂の二つがある。この二元論はキリスト教とかで言われてるよね。
現代科学だと精神領域に脳科学などが発達してきた、物質世界も精神世界も同じ領域、つまり一元論が扱われるようになってきた。

仏教はね、三元論なんだ。
物質世界と精神世界とエネルギー世界。

物質でも精神でもない、全く別の領域の法が存在して、それが物事を動かし、変化させる作用に関わっていると考えたんだってさ。なんとなく宇宙で言うダークエネルギーみたいなもん?って今は勝手に思ってる。

この三元の中の法がさ、相互に影響し合いながら仮説を形成してるのよ。

例えば精神領域だと、『外界認識』『論理思考』『愛着』『怒り』など、40以上の法が想定されているんだって。俺たちの精神はこれらが集まり絡み合い構成されているんだ。外界認識、つまり目や耳だって精神を構成する法なんだ。

さっきの本の筆者が、このことを現代語的にわかりやすい言い方をしていた。

“四〇以上の基本機能の集合体として脳の働きが構成され、その脳は、眼や耳などの感覚器官を通して導入される外部情報をベースにして機能する”

仏教は宇宙をどう見たか-アビダルマ仏教の科学的世界観-

この場合、40以上の基本機能(感覚器官含む)が法で、精神が脳だよね。三元は分断不可能な状態で一体化されているところが仏教の大きな特徴みたいよ。

とりあえずまとめだ。

この世は法とそれが絡み合い更生された仮説というものがある。さらに世界を三元に分けて、それぞれが法で形成され、また分断不可能なものだとした。

三元の外

実は三元論にはこの外が存在する。

キリスト教の二元論でいうとこの外側には神様がいると思うんだけど、釈迦の時代の仏教には超越者はいないからさ。

仏教の三元論の外にはさっきまで法が『絶対にどんな時も作用をしない世界』というのがある。

まあこれが仏教の最終目標地点。悟りの境地、涅槃だ。あらゆる煩悩の喧騒が沈められたこの状態を『拓滅』と呼び、一つの独立した法として扱う。

有為法と無為法

とりあえず俺たちの世界の周りは本当の意味で悟ってる人はいないからさ、色々なものに影響され合う法で構成される三元の中にいるわけよ。

この世界を『有為法』って言うんだ。

逆に全く他に影響されない法、これを『無為法』って言うんだ。悟りの世界だね。

ちなみに有為法は72つ、無為法は3ある

混乱してきたでしょ?法って言うのは本当に実在するもののこと。

俺たちの世界には72個の本当に実在する物質からできていて、逆に言うとこれだけしか無い。他のものは全部仮説なんだって話。

物質領域

五根と五鏡

さあここからが今日は本番だぜ。ここまでは前置きだ笑

今日は有為法の中の三元の中の物質領域の話だからな!

いろいろなものの概要を捉えて、全体像を把握するにはやっぱり分類ってすごく大事なのよ。

仏教の時代思い出してね。釈迦は2500年前でこの倶舎論は2000年前。物質領域を分類するときに、人の感覚器官を使ったんだ。そう、五感。だからこの世の物質領域は『感覚器官で認識されるもの』と、『感覚器官自体』の大きく二つに分かれている。この時代に赤外線観測器とか電波受信機みたいなものなんて無いからさ、この五感で感じ取れるものだけしか真に『ある』と思えるものはなかったわけよ。

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。仏教用語で言うと眼、耳、鼻、舌、身。

この五感というのは、物質領域でも特別で、なんでかと言うとものを感知して、精神にその情報を伝える役割を持っているからさ。物質領域で精神世界と繋がれるのはこの五感だけで、仏教では特別に五根って呼ぶ。このつながっているのって後々すごい大事。

あとは簡単よ。物質領域は五根と、それで感じ取れる物質で成り立っているという感じ。感じ取れる物質が眼だと色(しき)、耳だと声、鼻だと香、舌だと味、身だと食というものになる。これをまとめて五境って言う。

五根で感じ取れるもの、五境。この五境が大枠でその中に甘いって言う法とか、辛いっていう法とかがいっぱい入っている感じ。

例えば、眼は色を認識する。色(しき)とはいろやかたちとかのこと。ここでいう、いろには4つの法が存在する。青と黄と赤と白だ。仏教は4原色なんだぜ。4原色が加法混色して全ての色が表現される。

OK分かってきただろうか、物質界を例でみてみよう。
例えば自分の目の前に石があるとするじゃない。俺たちは石があるから見れば形や色がわかるし、触れば感触があって肌触りが分かると思ってる。

ちがう、そうじゃない。

ここにあるのは形や色、そして肌触りが先なんだ。僕たちはこれを目や肌で捉えて初めてそこに石があるって頭の中で組み立てるんだ。つまり、この世界に石の実在は無い。石という法はないんだ。実在するものはこの五根で捉えたものだけであって、あとは全部その情報を元に、頭の中で組み立てたものなんだ。

わかりにくかったら目を閉じてみるといいよ。そして触れてみる。するとその感覚で物を頭の中でイメージして作り上げていくでしょ?

ややこいけれども、これが法と仮説だよ。

目の前のスマホだって、スマホがあるんじゃない、五根で感じ取ったものを構成して僕たちはスマホを感じている。

五根は認識されるのか

五境は認識される物質だ。今で言う光とか温度とか、匂いとか。
五根は認識する物質だ。眼とか耳とか鼻とか。

では、五根は認識されるのか?

俺たちも二人いれば、相手の眼を認識できるし、変な話触ろうと思えば触れる。眼は認識するものであり、同時に認識されるものなのか?

答えはノーだ。

眼は認識されることはない。僕たちが眼だと思っているものは、実は単なる眼の土台だ。生まれつき目の見えない方も、眼はある。仏教的には土台の内部にある捉えられないものとして眼根というものを設定しているんだけど、まぁ眼の機能みたいなもんだと思う。

眼の機能は見えないからな。
同じように鼻根や耳根とかもある。

つまり、五根はそれぞれ土台となる五境に取り込まれる形で存在している。

まとめよう。

五根は認識する物質であり、五境を認識する。五根は認識されず、五鏡に取り込まれる形で存在する。

この五根、全てを失ったら人は外界との接点がなくなる。どうなるんだろう。五根は外の世界と自分の精神世界をつなぐ、唯一のものであり、それはとても大切な役割を果たしている。

よし、もう少し、最後にもう少しだけミクロな世界を見ていくぜ。

極微

目の前の消しゴムを永遠に二つに分けていったら、最後に何が出てくるのか。

中学だっけ?原子論。今は素粒子の時代だけどさ。

仏教でも原子論が唱えられていて、それを極微って言うんだ。さっきまで話していた、五根も五鏡も全部極微でできている。

そのごくみは「一次可変粒子」と「二次可変粒子」に分けられる。「一次可変粒子」は4つ。「地、水、火、風」。なんかこう聞くと理系的にはうーんって感じになるからこう言い換える。

「堅さ、湿り気、温かさ、動き」

なるほど。
こいつらはどんな物質にも必ず4個セットになってついてる。認識する物質も認識される物質にもだ。

そして二次可変物質。こいつが多様性を持っているんだ。
いっぱい種類ある。

例えばさ五境の中の色の分類でいうと、さっき言ってた4原色だよね。青、黄、赤、白という二次可変物質の極微があるんだ。もちろん、他の五境の声、香、触、味の分類の中にもいっぱいある。

認識する物質の眼耳鼻舌身は、もうこのままの名前の二次可変物質みたいよ。

そして物質が世に現れるときは一次可変物質の4つセット一組と、二次可変物質1つ。つまり、極微5つがワンセットが物質の最小ユニットだ。

例えば一次可変物質と青の二次可変物質がセットになったものがいっぱいあると、それこそアボガドロ定数ぐらいあると、眼で青が認識される。あとはこれが密度濃いと、色が濃く、密度薄いと色が薄めになり、黄色のセットと混ざると緑色に見えるようになる。

よしじゃあ少しまとめよう。

仏教では認識する物質の五根のと認識される物質の五境で物質界が成り立っていた。こいつらも細かくしていくと一次可変粒子4つと二次可変粒子1つのユニットで構成されている。

二次可変物質がいっぱいあって青という極微と一次可変粒子4つの組み合わせがいっぱいあると眼(五根の一つ)で認識される色(五境の一つ)になる。二次可変粒子が眼で一次可変粒子4つと手を組むと、そいつは眼(五根の一つ)になる。

一次可変粒子も二次可変粒子もこれぞれぞれ五根、五境のどこに属するかが分けられてるのよ。青が色で、眼が眼とかいうようにね。

じゃあ一次可変粒子の地、水、火、風はどこ?

こいつらは触に属する極微という扱い。だから身は感知できるのが広いのよ。ほら物質は、必ず一次可変粒子がついてるからどんなものでのその部分を感知できるし、二次可変粒子が触の領域のものも感知できる。

これが極微論の基礎だ。

そしてこのユニットは一種類単独で現れることは無い。必ず色、舌、香、食の領域の二次可変粒子を一種類以上従えて現れる。音しないのあるじゃん?だから声は入ってないこともあるんだって。鉄の声が聞こえたら鉄が切れるようになるかもよ。

よっしゃじゃあせっかくだから眼根の構成について見てみよう。

眼根てさ、眼の機能みたいなものだから、それだけでは現れないのよ。土台の眼と一緒に現れる。だからこの五根の一つである眼は五境と一緒に現れる。まぁ、肉体だ。

さらにいうと、その入れ物の眼は身根だ。つまり眼とは、入れ物である色、味、香、色をそれぞれ載せたユニットと、身根を乗せたユニットの中に眼根が、入れられている。

面白いよね。

これで感知された感覚が精神へとつながって心をつくっていくんだよ。

終わりに

今回はなかなかややこしかったな!ただここがなんとなくでも分かったほうが、大乗仏教やるとき面白いと思ってね。大乗仏教で否定されたものって何だったんだろうってなるからね。

次は精神領域かな!

ではまた!!

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Podcast – COTEN RADIO
132 最澄と空海 – 悟りを開いた男たちの生
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▼釈迦の仏教が考える世界観がよく分かる本。物質論も精神論も時間論もエネルギー論もとても緻密で興味深かった一冊。

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